「500万円二重取り詐欺」までの経緯 2

2017年06月30日 
 





 二枚証文による275万円の仮差押えを喰った僕は、
 2016年の初冬、
 頭に来て、名古屋市の某警察署に相談に行った。


「やられましたね。」
「ええ。やられました。」
「あのね。世川さん。
 こういう連中のことを知能詐欺集団と言うんです。
 おそらく、青山敏夫という男と弁護士はグルでしょう。
 だけど、
 こいつら知能詐欺の連中は、悪賢いから、証拠を残さない。
 あなたの二枚証文詐欺も、証拠がないから刑事事件にはできない。
 民事で争うしかないでしょうね。」
「それはわかっていますので、民事で戦います。」
「ただ、ネ。世川さん。
 こういう連中は、
 悪賢いけど、
 これに味をしめて、必ず、またあなたを狙って、もう一度、詐欺を仕掛けてくるはずです。
 そして、どこかに証拠を残すものなんです。
 その時に、あなた、
 とにかく、証拠になるものを見つけなさい。
 その証拠が手に入ったら、その時は、ここに来てください。
 警察は国民の味方ですから、あなたを助けますよ。」
「そうですか。証拠ですね。
 わかりました。今度お邪魔する時には、必ず証拠を持ってきます。」


「それとね。
 青山敏夫という男。
 革マルにいたって話ですが、
 そういう男は、
 革マルを抜けたふりして、革マルに資金を提供するってケースが多いんです。
 抜けたなんて話を鵜呑みにしちゃいけません。
 あの男の金の流れで何か情報でも入ったら教えてください。
 うちは、むしろ、そっちの方に関心がある。」
「わかりました。
 情報が入ったら、お知らせにあがります。」


 というような話をして、警察署を出た。
 そして、京都の佐賀千恵美先生にお願いして、民事訴訟の運びとなった。


 この時、
 仮差押えを出してきた弁護士の名を見たら、
 青山敏夫が、
「あいつは俺の仲間だ。
 やり手の弁護士でな。
 ヤバいことはあいつに任せておけば、全部きちんと片付けてくれるんだよ。
 仕手戦の法的なことは、あいつに任せておけば安心だから、心配するな。」
 と自慢そうに吹聴していた、
 虎ノ門の「篠崎・進士法律事務所」の篠崎芳明弁護士の名が書かれていた。


 それを見た僕が、この日記に、
「篠崎芳明のお出ましか。」
 と書いたら、
 笑わせるじゃないか、
 この詐欺師グループ、
 慌てて、次からは、篠崎芳明の名をおろして、
 石黒一利とかいうダミーの若造弁護士に代理人を変更したのだ。


 そのようにして、
 2枚証文詐欺訴訟が始まり、
 僕の方は、
 青山敏夫が未払いにしているナイルスナイルの原稿料と、
 福田智子が返してくれないゆうちょ通帳と印鑑、
 そして、僕が受け取っていない株式売買益の報酬金、
 それらを求めての訴えをして、先日までの1年余を過ごした。

 ちなみに、
 僕が、支払いを求めている未払いの報酬金の金額は、
 仮差押えの根拠の金額になった275万円よりも、
 ずっとずっと、ず~っと高額だ。








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「500万円二重取り詐欺」までの経緯 1

2017年06月29日 
 



 僕は、1年ほど前から、
 東京地裁において、青山俊夫こと青山敏夫と、「二重証文詐欺」訴訟をやってきた。
 現在係争中のその裁判の支障にならない限りで、丁寧に書く。


 その「二重証文詐欺」ということから丁寧に書こう。


 2013年11月初旬に北海道から無一文で帰って来た僕は、
 本当の文無しになっていたので、
「株式売買の腕でしか生きる道はないか。」
 と決心し、
 生きていくために、
 ナイルスコミュニケーションズ社長の青山敏夫と契約して、
 僕の松井証券口座を使って、青山敏夫のお金500万円を担保に、株式売買をおこない、
 損金が出た時は、僕が全額かぶる、という条件で、
 利益金の40%が僕、60%が青山敏夫。
 その配分での株式売買を始めた。
 僕は、株式売には自信があったので、
 損が出た場合は僕がかぶるという条件は、さして苦にならなかった。


 僕は文無しだったので、
 売買益が出る度ごとに、利益の40%をもらって生計を立てていた。
 毎日みたいに利を出し続けたので、日々の生活には困らなくなった。


 同年12月3日。
 青山敏夫から、
「投資金額を3000万円まで増やしてやるから、
 あんたの取り分を利益金の23%にまで下げてくれないか。
 投資金額が大きくなるから、23%でもあんたの得る金額は大きくなるはずだ。」
 南青山骨董通り全菓連ビル2階にある、
 ナイルスコミュニケーションズの社長室兼会議室でそう言われて、
 こっちも食っていかねばならなかったので、契約を新たにした。


 これは現在係争中なので、
 僕の意見は、「事実」ではなく、「僕の主張」だ。
 誤解なきよう。


 その部屋で、青山俊夫こと青山敏夫が、
 新しい契約書を交わし、「一緒に食事に行こうよ」、と誘った後、
「世川さん。
 あんたが北海道から帰ってからおれが出してやった生活費が125万円なんだ。
 株で儲かっているんだから、あんたの借金ということにして、
 あんたの2月までの報酬金で相殺しようよ。」
 と言ってきた。

「いいですよ。」
 僕は答え、
 福田智子の持ってきた125万円の借用書に署名捺印した。


 当時、僕は、僕の口座での株式売買でも利益を上げていたが、
 青山敏夫の野村證券口座でも、青山に売買の指示をして、1000万円を超える利益を出していた。
 この日までの僕の取り分は、売買利益の40%だったから、
 125万円を支払うことは、さして苦痛ではなかった。
 生活費を出してやったと恩に着せられるよりも報酬金で相殺すればいいや。
 そう思った。


 それに書名捺印した後、青山敏夫が言った。
「年末まで、まだ20日以上ある。
 あんた、食っていけないだろう。
 明日あと25万円送るから、150万円の借用証に書き換えろよ。」
「ああ。それは助かりますね。ありがとうございます。
 でも、150万円になると、
 いくら株で儲けるとはいっても、
 2月末期日じゃ、万が一のことがあるかもしれないから、ちょっと不安だから、
 少し返済期日を延ばしましょうよ。」
「ああ。そうしよう。」
 僕は、また福田智子が持ってきた150万円の借用証書にサインした。


「世川さん。
 その125万円の方の借用書は、私がシュレッダーにかけておいてあげますから、
 社長とお先に食事にいらしてください。」
 福田智子がそう言って、125万円の借用書を持って行った。
 僕は、福田智子がシュレッダーにかけたと、思い込んでいた。


 その日、
「世川さん。500万円のお金のことだから、
 松井証券とをつないでいるあんたのゆうちょ通帳と実印を福田に預けてくれよ。」
 青山はそう言ってきて、
「いいですよ。
 僕は、僕の報酬金をもらえれば、それでいいですから。」
「福田が、間違いなく、その度に送金するよ。なあ。」
「はい。私が間違いなく、入出金の処理をしますから安心してください。」
 それで3人で食事に行った。
 その日から、ぼくのゆうちょ通帳と印鑑は、福田智子の預かりとなり、
 今日に至るまで戻ってきていない。


 今日の午後、再掲したとおり、
 青山敏夫と縁を切るきっかけについては、当時の日記に書いたので。重複は避けるが、
 1014年2月18日をもって、僕たちは音信不通になり、
 一度、堤重役が、福田智子に、
「世川さんの通帳と実印を返してくれ。」
 と連絡したが、
 なしのつぶてだった。


 そして、2年ほどが経った2016年1月、
 青山敏夫は、
 突然に、
「いくら世川に催促しても借金返済に応じないから。」
 といった趣旨の請求を裁判所に出して、
 なんと、
 125万円と150万円、
 同じ日作成で、返済期日の異なる2枚の借用書を証拠として、
 275万円分の僕の東武株の株券の仮差押えを実行したのだった。


 と、僕は裁判で主張している。


          (続く)







世川行介。「本能寺奇伝」「泣かない小沢一郎が憎らしい」「世川行介放浪日』シリーズ

hourounikki

Author:hourounikki
世川行介。著述業。20余年間の放浪人生を送り、現在、滋賀県彦根市に仮住まい。
GOOブログで『世川行介放浪日記』を10年間継続中。
著作、『本能寺奇伝』『地デジ利権』『世川行介放浪日記』シリーズ、『泣かない小沢一郎が憎らしい』他。

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