弁護士進士肇のこの無様な醜態を見ろ。

2017年07月21日 


     弁護士進士肇のこの無様な醜態を見ろ。

      
 
 昨夜、ある読者氏が電話で、
「世川さん、
 「篠崎・進士法律事務所」や「進士肇」をネットで検索したら、
 世川のせの字も出てこないですよ。
 完璧な防御です。」
 そう言って笑っていた。


 ナイルスコミュニケーションズの自称青山俊夫といい、
 この「篠崎・進士法律事務所」といい、
 進士肇といい、
 この詐欺師たちは、
 自分たちが世の中から笑われていることに、全く気付いていない。
 ただただネット情報操作で、とりあえずをしのごうと、
 それだけだ。


 そんな無様な姿を世に曝すくらいなら、
 初めから、詐欺などやらなければいいのだ。


 進士肇は驚いているかもしれないが、
 僕にも味方や応援団はいて、
 岳父の七光りの傲慢を生きている進士肇の阿呆なうわさ話など、
 いくらでも入って来る。

 若手弁護士たちをゴルフに誘って、東京弁護士会会長選の票を依頼し、
「これが弁護士会活動だ。」
 とうそぶいている、
 との噂を聴いた時には、
 呆れて言葉を失った。
 人は同じような手合いが群れをなすものだな。


 こいつらは、
 仮に刑事事件化しても、
 無罪を勝ち取れば自分たちの勝ちだと思っているかもしれないが、
 事の本質を勘違いしている阿呆だ。
 「ネット世論の良識」は、
 もう、すでに、
 こいつらが詐欺をやったことを確信している。
 証拠不十分だろうが何だろうが、
 そんなことは、もう、関係ないのだよ。

       ギルティ!

 それだけだ。


 法には法の裁き方があるように、
 「ネット世論の良識」には、「ネット世論の良識」としての裁き方がある。
 僕は、ネット利用者諸氏に対して、
 それを行使しよう。
 と訴えているのだ。


 こういう卑劣な詐欺師たちを、許してはいけない。






 
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 「その都度のイエス・ノーの時代」雑感

2017年07月21日 



 僕は、小泉政権時代に吉本隆明が言った、 
 「その都度のイエス・ノーの時代」
 という時代把握の角度を、
「これしか、東西冷戦構造崩壊後の時代に対処する尺度はない。」
 と思って、評価し、自分の思考にも組み入れてきた。


 東欧社会主義国家群がことごとく崩壊して、
 もはや、それまでは<絶対の正義>と思われてきたマルキシズムが、<絶対の正義>ではなくなり、
 社会をマルキシズムの場所から撃つことは無効になった。
 まあ、
それにもかかわらず、それ以前と同じ場所から社会を撃とうとする人間は後を絶たず、
 団塊ジジババという種族がその典型だが、
 あれらは、もう、その発言には、何の価値もない。
 ただの<亡霊左翼>だ。


 マルキシズムというのは、
 良きにつけ悪しきにつけ、60年の長きにわたり、日本を呪縛してきた。
 特に文学の世界においては、
 マルキシズムからの脱落意識を隠しテーマとした作品が、純文学として高く評価されたし、
 思想の世界では似非革命政党日本共産党との戦いの中から、
 真の革命運動とは何か、
 といったことが問われ続けた。


 しかし、
 その根本のマルキシズムが自壊してしまったのだから、
 文学も思想も、ゼロの地点に落とされ、混沌を生きざるを得なくなった。
 現在の文学の衰退は、ここに起因していると、僕は理解してきた。
 この世から消滅してしまった思想との葛藤を描いた小説を好んで読むような読書家はいないだろう。


 <反体制>を叫んだ人間たちは、思想的後ろ盾を失った。
 旧ソ連邦執行部の腰ぎんちゃくをして来た日本共産党など、
 本当は、真っ先に解党しなければおかしいくらいの話だ。


 そうした時代に向かって、
 吉本隆明は、
 「次のマルクスが誕生するまでは、
  その都度のイエスノーでいいんです。」
 と、
 戸惑う庶民を救済する新しい社会把握の思考方法を提供した。
 彼がその言葉を言った時点で、
 古い反体制陣営は、存在意義を失った、
 と、僕は理解した。
 つまり、
 マルキシズムの学徒であるという知的階級が「知の特権」を失い、
 政治が、「ニュートラルな庶民」の手にバトンタッチされた、
 と思った。


 社会的に何かが生じた場合、
 ニュートラルな良識を持った庶民は、
 こましゃくれた改革理論など無視して、
 自分たちの良識と勘に従って行動すればいい時代になったのだ。
 そして、
 Aの事例に下した結果とBの事例に下した結果が相反するものであったとしても、
 「その都度の良識」に従って出した結論であるならば、
 それはそれでいい。
 そんな新しい時代に入ったのだ。

 それを指して、「その都度のイエス・ノーの時代」と呼ぶ。
 これは、庶民にとって歓迎すべき時代の到来だと、僕は思う。


 この20数年間、
 そうした時代の到来を苦々しく思っている<亡霊左翼>たちは、
 マスコミとか文化人(?)を宣伝マシーンにして、
 昔ながらの一貫した反体制志向を庶民に植え付けようとしてきたが、
 土台がすでに、腐って崩れ落ちてしまっているのだから、
 そんなものが成功するわけがない。
 にもかかわらず、彼らは足搔き、庶民の誘導に躍起になり続けた。

 これらは、全て、無効である。


 自分の思考の中に、
 「その都度のイエス・ノー」という尺度を導入したら、
 社会や時代の理解の仕方もまた変わって来る。
 不可解であった現象も納得できるようになる。
 つまり、
 思考の幅が広くなる。


 阿呆な団塊ジジババたちが馬鹿にする平成の若者たちは、
 小難しい論理としては理解できていないが、
 その柔軟な感性で、そうした時代の到来を納得し、
 そのように動いている。

 これはとってもいいことなのだ。
 そうした若者がもっともっと増えてくることが望ましいと、
 僕は思っている。

 そして、
 それを拡充させる場所として、
 ネットという「庶民表現の新しい場所」が重要性を増してくるはずなので、
 僕は、「ネット世論の良識」の動向を注視し続けている。



世川行介。「本能寺奇伝」「泣かない小沢一郎が憎らしい」「世川行介放浪日』シリーズ

hourounikki

Author:hourounikki
世川行介。著述業。20余年間の放浪人生を送り、現在、滋賀県彦根市に仮住まい。
GOOブログで『世川行介放浪日記』を10年間継続中。
著作、『本能寺奇伝』『地デジ利権』『世川行介放浪日記』シリーズ、『泣かない小沢一郎が憎らしい』他。

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